学会関連新着情報 2018/04/04
5月19日開催 日本南アジア学会30周年記念連続シンポジウム 第2回のお知らせ
日本南アジア学会30周年記念シンポジウム(東京)
日本南アジア学会30周年記念連続シンポジウム 第2回のお知らせ
日時:2018年5月19日(土)13:30-18:00 (懇親会18:10-20:00)インド政治の支配の正統性を過去から現在まで幅広く分析します。ふるってご参加ください。
場所:東京大学駒場キャンパス18号館ホール(懇親会は18号館オープンスペース)
〒153-8902 東京都目黒区駒場3−8−1(アクセスはこちらをご覧下さい)
1.シンポジウム題目
「インド政治の過去と現在 — 支配の正統性をめぐって」
2.シンポジウム趣旨
本シンポジウムでは、インド政治の過去と現在をめぐって、権力者が支配の正統性(レジティマシー)をどのように確保しようとしてきたかについて学際的に検討する。インド政治のありかたを検討するにあたって支配の正統性に着目することは、インドにおける権力者と被支配者、国家と社会、都市と村落の関係のありかたを考察し、インド的な政治システムの特徴を明らかにするにあたって有用であろう。
安定した支配関係が成立するためには、単に物理的な力によって被支配者を服従させるのではなく、政治的支配が正統なものであると被支配者側に認められることが必要である。そのため権力者は常に自らの支配の正統性を確保しようと努めてきた。ただしこの正統性は、本質的に被支配者の受容を条件として成り立つものであり、権力者が正統性を確保するためには、被支配者側がいかなる権力を正統なものであると認識しているかを考慮する必要がある。支配の正統性の源泉は、文化・社会・宗教的な権威であったり、近代では合法性のみならず社会保障や社会経済発展であったりする。ところが、多様性を特徴とするインド社会においては、被支配者たちも多様であり、何が権威を生むのか、誰のいかなる福祉保障や社会経済発展が求められるのかについての見解はさまざまである。
こうしたなかでインドの権力者は多様なる被支配者を相手にいかなるかたちで正統性を確保しようとしてきたのか。そこでは被支配者側の既存の価値や要求を支配者側がとりいれる下からの過程と同時に、権力者側が被支配者側の支持と受容を新たに構築するような上からの過程もあったものと想定される。つまり正統性の観点からみれば、インド政治は、社会の多様な価値と要求を反映しつつ、それらを創意的に統合して全体に受容されるような権力・権威のかたちをつくりだそうとするダイナミックな営みであった(ある)ということができるかもしれない。こうした観点から、権力者と被支配者、国家と社会、都市と村落の関係のありかたを分析することをつうじて、インド政治が正統性をつくりだそうとしてきた長期的な歴史とその現代的な現れを理解し、その構造的な特徴を明らかにすることができれば、地域研究の視点からインド政治を論じるうえでのひとつの重要な成果となるだろう。
本シンポジウムでは、インダス文明、古代ヒンドゥー王権、中近世イスラーム帝国、植民地期の民族運動、そして現代インド政治について、考古学、インド学、歴史学、人類学、経済学、政治学という複数のディシプリンの立場から検討する。これをつうじて、インド的な政治システムの特徴を長期的・学際的な視点から明らかにすることができれば幸いである。
3.報告者
1)考古学: 小茄子川歩(京都大学)
2)インド学: 藤井正人(京都大学)
3)歴史学: 三田昌彦(名古屋大学)
4)人類学: 間永次郎(東京大学)
5)政治学: 近藤則夫(アジア経済研究所)
6)経済学: 内川秀二(専修大学)
討論者:太田 信宏、田辺明生、加藤篤史
司会:小西公大
4.シンポジウムプログラム
13:00 開場
13:30-13:40 挨拶と趣旨説明 水島司、田辺明生
13:40-14:05 小茄子川歩 「インダス文明:「国家」なき文明社会の統合原理」
14:05-14:30 藤井正人 「ヴェーダ王権儀礼における王の正統性の確保」
14:30-14:55 三田昌彦 「ラージプートの歴史叙述とムスリム支配:多元的文化世界における正統性の模索」
14:55-15:05 休憩
15:05-15:30 間永次郎 「ガーンディーにとっての正統的統治とは何か: 独立運動期における民族統合」
15:30-15:55 近藤則夫 「現代インド政治と支配の正統性」
15:55-16:20 内川秀二 「経済成長と社会政策:政権の正統化と貧困対策」
16:20-16:40 休憩(フロアからの質問を集めます)
16:40-16:50 太田信宏コメント
16:50-17:00 田辺明生コメント
17:00-17:10 加藤篤史コメント
17:10-18:00 討論・質疑応答
18:10-20:00 懇親会
5.報告タイトルとレジュメ
1) 小茄子川歩
「インダス文明—-「国家」なき文明社会の統合原理」
インダス文明とは、紀元前2600年頃に現在のパキスタンおよび北西インドを中心とする地域に成立した南アジア最古の広域統合社会である。その範囲は、南北1,500km、東西1,800kmをはかり、他の古代文明と比較しても広大だ。
しかしながら他の古代文明社会とはことなり、当文明社会には、王や一つの明確な中心、強力な宗教、暴力・軍隊などを認めることはできない。つまり中央集権的な「国家」ではなかったことが明らかである。
インダス文明の中心=都市は、各地域に既存のものとして存在していた多層な下(周辺=村落)からの多様な文化要素を統合・再構造化するために創出されたリージョナルな中心であり、社会的・市場的なまとまりにとどまり続けた。そして各地域に点在するリージョナルな中心=都市は、同位レベルを維持したままに共生し、多様な地域文化をそのまま保持するかたちで、多中心の広域ネットワークを形成した。これをインダス文明とよぶ。
インダス文明の権力者と非支配者、そして政治システムのあり方は明らかではないが、その支配の正統性に言及するのであれば、それは多層かつ多様な下からの価値と要求を反映するかたちで創りだされた多中心の広域ネットワークに由来するものと考えられる。このような社会のあり方は、「都市国家」や「初期国家」というような既存の概念では説明しきれない。インド社会を特徴づける多様性社会の統合原理の一つのパターン、あるいはその基層を、ここに見いだすことが可能である。
2) 藤井正人
「ヴェーダ王権儀礼における王の正統性の確保」
ヤジュル・ヴェーダ文献において大規模な王権儀礼の形成がみられることから、後期ヴェーダ時代初期に王による支配体制が確立されたと想定できる。当時の統治システムは明らかではないが、王権儀礼を分析することによって、王権の特徴をさぐることは可能である。報告では、この時代に王がどのように儀礼において正当性を確保したかを、王権儀礼を含むヴェーダ祭式における主席祭官(ブラフマン祭官)の役割と、即位式における王性の変化をもとに考察する。祭式において主席祭官は、他の祭官たちから離れて、祭主(王)の傍らでいわば祭主の半身となって祭式に臨んでいる。また即位式において、王座に座った王と祭官たちとが互いに「ブラフマン」と呼び掛けあい、ある祭儀書では、王は祭式の開始時にバラモンとなり、終了時にクシャトリヤに戻ると説かれている。これらは、王が主席祭官を媒介として、あるいは儀礼的にバラモンとなることによって、儀礼上の正当性(聖性)を確保した上で、支配権を確立・宣揚するための儀式を行っていたことを示唆している。この時代、王権は飛躍的に拡大しつつあったが、支配の正統性のために祭官の聖性を必要としている点で、それ自体が単独で神聖視される後世の王権と異なっている。
3) 三田昌彦
「ラージプートの歴史叙述とムスリム支配:多元的文化世界における正統性の模索」
南アジア中世のラージプートなど在地支配者は、ペルシア・イスラーム文化の帝国支配が進行すると、かつてのようにヒンドゥー神話に自己の系譜を接続し正統クシャトリヤを誇ることで自己の支配の正統性を主張するだけでは済まなくなる。実際、デリー・スルターン国家の支配層がインド化していくに伴い一部のラージプートが改宗する一方で、ヒンドゥーのラージプートはスルターン国家によるラージプート王家の滅亡の歴史をラージプート・アイデンティティの中心に据えたり、逆に自らスルターンを名乗ったりなど、一見矛盾するような様々な模索を行う。しかもムスリム支配下のラージャスターンはヒンドゥーのラージプートだけでなく、改宗ラージプートを含むムスリム貴族、ジャート、先住部族など在地支配者の社会的バックグラウンドも様々であった。このようにムスリム支配が進行する中で、文化的にも多様な在地社会においてラージプートがいかに支配の正統性を模索したか、とくにこうした課題が集中的に現れる改宗ラージプートとヒンドゥーのラージプートをめぐる問題を取り上げ、ムガル時代に彼らが自己の正統性を主張するために作成した王統譜の歴史叙述を手がかりに探っていく。
4) 間永次郎
「ガーンディーにとっての正統的統治とは何か:独立運動期における民族統合」
しばしばガーンディーが率いた反英独立運動(1920-1947)は、それまで民族政治に無関心であったインドの農民を取り込んだ植民地史上初の全国規模のナショナリズム運動として高く賞賛される。だが、イギリスの植民地支配に代替すべきとする「正統的な」インド統治をめぐる理解のあり方は、ガーンディーと農民の間で著しく異なっていた。本発表では、ガーンディー自身が独立運動の理想として掲げた「インドの自治(ヒンド・スワラージ)」と、農民たちが思い描いていた「ガーンディー王国(ガーンディー・ラージ)」の理想とがいかにすれ違う中で独立運動が展開していたのかを論じていく。
ガーンディーの自治の理想とは、非暴力的手段を用いてイギリスの制度的支配から自由になり、国民一人一人が物質的・身体的欲望を克服することを意味した。この点で、ガーンディーは近代社会の文明の利器を持たない農村地域の人々が、独立運動の主要な参加主体となることは最も相応しいことであると考えていた。
一方で、マス・メディアのない農村地域では、ガーンディーの理念は専ら噂によって伝搬され、それはいつしか神話化されたガーンディー王国の理想に変貌していた。さらに、ガーンディーの考える一義的な「農民」理解と異なり、インドの農民の現実は、地域毎のカースト・部族・宗教によって複雑に分割され、経済的・社会的地位も多様であった。ガーンディー王国の理想はそれぞれの農民の自己利害に結びつき、あるものは千年王国思想として、あるものは暴力行為を肯定する革命思想としても発展していった。
本発表では、独立運動がこのようなガーンディーと農民の「統治」の理想をめぐるずれを伴いながらも、なおも緩やかなまとまりを持つ集合体として展開していた点に着目し、そこに植民地期のインド政治が有する特徴を見出していきたい。
5) 近藤則夫
「現代インド政治と支配の正統性」
現代インド政治で支配の正統性の源泉は選挙で選出された代表が政治や行政を行う代表制民主主義のプロセスにある。選挙で選出された政党・政治家が政治・行政機関を運営することにより政治・行政の便益を人々に適切に供給することを通じて支配の正統性を認められる。インドではこのような代表制民主主義政治に対する人々の一般的支持は高いレベルにあることは選挙の投票率や世論調査などから明らかである。しかし、人々の日常レベルで政治・行政を見ると、腐敗、非効率など様々な問題があり、人々は極めて批判的である。代表民主主義制度という高次の民主主義制度に対する高い一般的支持と、自らが選出した代表によって運営されているはずの身近なレベルの政治・行政に対する低い評価の間のギャップは大きい。何故このような一見矛盾する状況が現出するのか、様々な調査データから分析し、分析を通じて人々が政治に対していだく支配の正統性イメージに接近する。
6) 内川秀二
「経済成長と社会政策:政権の正統化と貧困対策」
本発表では独立時から現在までの政策理念、政権の正統化の手段としての政策、政策の実施を分析する。いかなる政権であっても政権を維持するためには、自らの統治を正統化するための政策を行わなければならない。また政策理念があっても、実施に際しては既存の政治勢力によって政策の選択の余地は狭められる。政策の選択はこの正統化の中で捉える必要がある。
第2次5カ年計画では社会主義型社会が掲げられ国営企業中心の輸入代替工業化が開始された。「社会主義」が意味するところは政府が積極的に経済に介入していくことであった。土地改革による土地所有権の移転は強調されていない。国民に対して政権の正統化の手段として貧困削減が訴えられるようになったのは1960年代後半からである。その後は、明らかな効果を上げることなかったが、様々な貧困対策がとられるようになった。貧困層への配慮や社会正義への姿勢は選挙対策に不可欠となった。モディ現政権が土地収用法の改正に失敗したあとに高額紙幣の廃止を実施したこともこの文脈の中でとらえる必要がある。