日本南アジア学会

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これまでの受賞者

2023年度(第9回)日本南アジア学会賞の受賞者発表

神戸大学で2023年9月23日に開催された第36回大会の会員総会において、第9回目の学会賞が田中雅一審査員長より発表されました。3名の受賞者には賞状と副賞がマハラジャン・ケシャブ・ラル理事長より授与されました(総会当日ご欠席の長岡慶氏には、後日担当常務理事より、賞状・副賞の授与がなされました)。おめでとうございます。

 今回、学会賞候補については書籍が4点(ただし1点は辞退)、邦語論文が3点、英語論文が2点あったが、厳正な審査の結果最終的に以下の書籍3点が受賞対象に決定した。

 

【受賞作品】

長岡慶『病いと薬のコスモロジー―ヒマーラヤ東部タワンにおけるチベット医学、憑依、妖術の民族誌―』春風社、2021年
中村友香『病の会話―ネパールで糖尿病を共に生きる―』京都大学学術出版会、2022年
濱谷真理子『出家と世俗のあいだを生きる―インド、女性「家住行者」の民族誌―』風響社、2022年

 

【講評】

長岡慶『病いと薬のコスモロジー―ヒマーラヤ東部タワンにおけるチベット医学、憑依、妖術の民族誌―』春風社、2021年

 本書は、チベット自治区およびブータンと接するインド共和国アルナーチャル・プラデーシュ州タワン県におけるフィールド調査をもとに、当地住民たちが、自ら保持してきている伝統医療と、それにインドの政策が介入した医療との狭間に置かれて、どのように折り合いをつけて生きているかをリアルに紹介した民族誌である。タワンは17世紀から20世紀半ばまでチベット中央政権の支配下にあって、現在も住民の多くがチベット仏教徒であり、チベット医学を保持しているが、1980年代から諸伝統医療を保険診療に組み込むためのインド政府の政策的介入がチベット医学にも及びはじめ、2010年に完全に組み込まれた。この間およびこれ以降の、医療行為者、製薬者および医療受者らの社会的組織的多様化を具体的に描き出し、適宜姉マリー・モルの身体の多重論を念頭に分析を加えながらも、安易に理論的枠組みにはめこむことなく、歴史的特殊性を有する地域の実態に肉薄している。とりわけ、かれらの病いの経験と医療の実践とに注目した第Ⅱ部、および、祟りや憑依に因る病いと妖術の実践とに注目した第Ⅲ部では、チベット語、ヒンディー語、更にはモンパ語をも駆使した現地でのインタビュー取材によって、多くの生の声を情報ソースとして分析を加えており、文化人類学の王道ともいえる手法が遺憾無く発揮されている。
 チベット医学は、インドのアーユル・ヴェーダの理論を土台に、チベットの伝統的な治療・養生にかんする知識のみならず中国、ギリシャの医学知識を組み込んで12世紀に完成したチベット語の医学書『ギュー・シ(Rgyud bzhi)』および、これの注釈書,薬物書から構成されている。
 伝統的に疾病は、飲食物や生活環境、気候などの影響に起因するナツァ(第Ⅱ部、第3章、第4章)、神霊や悪霊がもたらす祟りや憑依によって起こるヌパ(第Ⅲ部、第5章、第6章)、他人やモノ、環境から毒をもたらされることによって生じるドー(第Ⅲ部、第7章)、の3種類に分類される。著者は、それら個々の「病いと医療行為」につき、多くの事例を紹介している。一見しただけでは、ナツァには制度化されたチベット医療、ヌパとドーには伝統的チベット医療が施されているように想定されるが、そのような単純なものではなく、実に多様に両者が組み合わせられながら医療行為が行なわれていることを明らかにしている。
 例えば、第Ⅱ部、第3章で著者は、ナツァを扱う真言吹き治療と柄杓治療を詳述しているが、これらの治療者は、チベット医学の治療者であるアムチと異なる。真言吹き治療は、真言の力を宿した息を患者の体に吹きかけるもので、密教修行をした僧や在家行者によって施される。さらに真言吹きをしたバターや水をそれぞれ塗り薬と治療薬と飲み薬として準備する。柄杓治療は、「内臓が落ちた(下がった)」子どもを対象に施される。大きな柄杓を子どもの下腹部に押し当てて落ちた内臓を元に戻す。時に病院に勤務する医者が子どもを連れてやってくる。他方で、制度化されたチベット医学の治療者アムチは専門の教育を受けていて、診療所を活動拠点とする。チベット医学では、3つの生命要素のバランスが崩れるとナツァが生じると考えられていることから、これらのバランスを調整することが治療目的となる。しかし、病気が神霊によるものと判断すると、僧による儀礼をうけるように指示する。
 望むらくは、文献学的先行研究の成果をより一層丹念に探って、チベット医学へ大きな影響をおよぼしたアーユル・ヴェーダの概要も紹介すれば、医学と妖術との境界が曖昧なことの由来を示すことが出来たかもしれない。
ともかくも、非常な困難を伴ったことは想像に難くない現地での長期滞在調査を踏まえ、収集した多くの事例を分析整理して提示していて、その学術性の高さは、本学会賞を受賞するに充分価するものと判断した。

中村友香『病の会話ネパールで糖尿病を共に生きる』京都大学学術出版会、2022

 本書は、ネパールでの数年におよぶ試行と深い考察によって生み出された若手研究者による挑戦的な研究の成果といえるだろう。
本書の構成と概略は次のとおりである。第1章「壊れている(bigreko)」とは何を意味するか」で、まずネパールにおける生物医療の草創期から現代までの略史、および制度がまとめられる。第2章「病院・薬局での『すれ違い』」では、トゥルシプール市の生物医療施設や薬局の厳しい医療実態、およびそこでの糖尿病患者の経験や態度が具体的に描かれる。本書の主要な調査地トゥルシプール市は、首都カトマンドゥから遠く離れた地方都市である。そして本書の副題「ネパールで糖尿病を共に生きる」ことの実態をミクロな視点から克明に描いているのが、第3章「食事と薬をめぐる身体感覚と実践」、第4章「病いの不確かさへの対峙と、他者とのかかわり」、第5章「身体をめぐる交渉」である。第3章では、ネパールにおける二型糖尿病の診断・治療の現状が専門家の説明から概説され、その上で患者当事者の生活環境の中で糖尿病がいかに作られているのかが語られた。つづく第4章は、患者と身近な他者との会話やその観察から、他者との関係性の中で病が共有される経験を論じる。そして第5章は、トゥルシプールからフィールドを首都カトマンドゥの内分泌専門クリニックに移し、そこでの患者と家族、医療従事者のやりとりから、前章までの観察も踏まえ、本書における著者の言説がここでも改めて確認された。つまり、「患者たちは『理解しない』『村人』なのではなく、その態度は、医療従事者を糖尿病についての<不器用な>配慮の参加者、つまり日常の「共に生きる」関係性に取り込もうと働きかけるもの」だと述べられる。
 以上の概略からもわかるように、本書は二型糖尿病という病を軸に、「ネパールにおける共に生きるあり方を」、長期にわたる参与観察、数多くのインタビューに基づいて考察した貴重な労作である。二型糖尿病の「不確かさ」に対し、患者は不器用な配慮や試行錯誤、「共に生きる」ことで、不確かさの先を生きる道しるべ、あるいは希望にしているというのが本書が導き出した結論である。日常的で不器用な配慮の中に、必要な生物医療の技術や人物を患者たち自身が再配置しようとしているという。こうして本書は、患者たちが身体の不調に無知でも無頓着でもなく、それゆえ「村人」という表現で患者を無知蒙昧、迷信的で、責任能力が低いと解釈することの不適切さを、様々な会話を丁寧に積み上げ論証しようとした、高い共感力に裏打ちされた研究の成果である。
 ただ、実に多様な意味・側面を含む関係性のあり方が「共に」という表現で括られ「希望」へと直結されている。その叙述の意味、著者の意図するところはよく理解できたが、「共に」も「希望」もやや短絡すぎるのではとの思いも残る。欲をいうなら、本書の最後に、「不確かさを共に生きる希望を描く試みであった」と述べているように、二型糖尿病を患うことによる「生」の質の低下が、不器用な配慮や共に生きることによって緩和されている事例、または関連する発言や態度も難しいだろうが明示してもらいたかった。病という深刻な事実を扱っているからこそ、それが希望を砕き得る現実も問い直す必要はないのだろうか。また、共に生きる社会を前提にしてなお、より適切な生物医療提供のために何が求められるのか、洞察を重ねた著者だからこその考えにも興味がわく。
 本書を受賞作として大いに評価するとともに、氏の研究の一層の発展に期待したい。

濱谷真理子『出家と世俗のあいだを生きるインド、女性「家住行者」の民族誌』風響社、2022

 本書は、北インド・ハリドワール郊外を拠点とする女性「家住行者」の日常生活に焦点を当てた民族誌である。本書の目的は、出家修行と家庭生活という相対立する生き方を選んだ女性家住行者たちの生活実践に注目することで、これまで男性中心、あるいはイデオロギー中心の出家研究に新たな視点を提案することである。
 本書は、序論と結論に加え以下の4部、9章からなる。
 序論では、1)インド社会における出家の位置づけ、2)出家研究、とくに個人に注目した出家論、3)女性行者の3つに分けて先行研究のレビューを行っている。1)については実態把握の必要、2)については男性中心の議論の相対化、3)については高カースト女性への偏重、男性行者の不在、抵抗など外部からの枠組みによる理解にとどまっているという問題を指摘している。これらを克服するために、女性家住行者が選ばれたわけだが、新しい視点として抵抗や構造に対立するようなエージェンシーではなく、「希望」という概念を提示する。その理由は、希望をキーワードにすることで、生き方を模索する女性家住行者の現実に迫ることができるからである。
 第1部「フィールドの概要」では、北インド・ハリドワールやシヴァ派ダシャナミー修道組織、その一部であるジューナー・アカーラーについての説明がなされている。第2部「「家住行者」とはだれか」では、こうした組織から離れている女性行者、とくに家住行者について概観している。第3部「社会生活」は、女性家住行者の日常実践を詳述していて、本書の中心的な部分になっている。まず、行者のために道場で毎夕行われる施食会での共食、つぎに招宴の招待券や招宴で配られる施しをめぐるかけひき、最後に沐浴場で暮らす寡婦行者たちの托鉢を紹介する。第4部「家庭生活」では、禁欲主義に反するパートナーの男性との同居生活について、さらに、葬儀における家族・親族関係の継続を女性行者に特有の問題として取り上げている。
 本書は、フィールドでの鋭い観察力に基づき、これまで知られることのなかった女性家住行者の生活実践をきめ細かく描写・分析した貴重な民族誌である。文章も読みやすく、本書の構成もわかりやすい。贈与やジェンダーに関する著者の問題意識と議論は、南アジア研究だけにとどまらない広がりと深みがあると評価できる。
 以下評者のコメントを2点提示しておきたい。
 まず、本書のテーマが(女性)行者であるにもかかわらず、あまり彼女たちの宗教的な考え方が紹介されていない。どんな教義に基づく救済観を持っているのか、それがどういう形で、女性行者の日常実践に認められるのか。残念ながら彼女たちの宗教観はほとんど不明である。タイトルに惹かれて本書を手に取る読者の多くは、宗教に関心があると推察できるので、宗教について十分に紹介されていないのは、きわめて残念である。それだけではない。本書のキーワードである希望は、女性行者たちの救済観や死生観と密接に結びついているはずだ。
 つぎに男性の視点である。第8章で男性行者との同居を扱っているが、男性パートナーの声が十分に記載されてはいない。これは、筆者が女性であることと関係しているからだろうか。女性家住行者たちが男性と同居する理由は、経済や身の安全のためと推察できるが、男性にとってはどのような利点があり、それにどのような意味づけがなされているのだろうか、気になった。
 本書の独創性の一つは、女性家住行者を考察対象にしている点であった。これによって、本書は南アジアの宗教やジェンダーについて新たな視点を切りひらいたと言える。しかし、その対象が特殊であるゆえに、今後本書で明らかになったことがらをより広い文脈で吟味していく必要がある。しかし、これをもって本書の欠点とみなすべきではないだろう。むしろ、これからの南アジア研究を進めるにあたって本書が私たちに示した重要な課題だと理解したい。
 以上から、本書は、長期のフィールドワークに基づく実証的かつ独創的研究として南アジア学会賞にふさわしいと判断した次第である。

第九回日本南アジア学会・学会賞選考委員会
(著者名のアイウエオ順で掲載)

2019年度(第7回)日本南アジア学会賞の受賞者発表

慶應義塾大学で2019年10月5日に開催された第32回大会の会員総会において、第7回目の学会賞が審査員長の黒崎卓氏より発表されました。4名の受賞者には賞状と副賞が脇村孝平理事長より授与されました(総会当日ご欠席の堀内俊郎氏には、後日、黒崎卓氏より賞状・副賞の授与がなされました)。おめでとうございます。

【受賞作品】

中村沙絵『饗応する身体—スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサの民族誌—』ナカニシヤ出版、2017年
根本 達『ポスト・アンベードカルの民族誌—現代インドの仏教徒と不可触民解放運動—』法蔵館、2018年
堀内俊郎『世親の阿含経解釈—『釈軌論』第2章訳註—』山喜房佛書林、2016年
嘉藤慎作「17世紀における港市スーラトの形成—スーラト市とスワーリー港—」『南アジア研究』第29号、33-60ページ、2017年

 

【授賞式の模様】

 

賞状を読み上げる脇村理事長       黒崎審査員長、根本氏、嘉藤氏、中村氏、脇村理事長

堀内氏、黒崎審査員長

【講評】

中村沙絵『饗応する身体—スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサの民族誌—』ナカニシヤ出版、2017年

受賞作品は、スリランカの老人施設「ヴァディヒティ・ニヴァーサ」における日常と、施設運営や介護者など高齢者をめぐるさまざまな人々の間で生成・変容する関係を丹念に叙述し分析することを通じて、老いと死の意味を再考した労作である。
高齢期を家族とともに暮らすことが規範とされるシンハラ農村社会にあって、ヴァディヒティ・ニヴァーサの入居者たちは、それぞれの事情から施設で高齢期を送らざるを得ない人びとであり、衣食住は保証され簡単な医療も施されているが、老いも死も隠しようもない簡素な共同生活を送っている。施設の運営も、ダーナという与えるものと受けるものが互いに直接的に認知しうる慈善行為に大きく依存し、介護者の多くも家族という枠組から離れて住み込みで働いている。すなわち著者が研究対象としたヴァディヒティ・ニヴァーサは、「施設」という語で想定されるような隔離された閉鎖的空間でも家族という規範に依拠する老いの場でもなく、内にも外にも多くの関係を結びつつ、ある時はそれぞれが期待される役割を果たし、ある時は共感したり、ある時は反目したりしながら時間を共有する「社会的な」場だった。また長い時間をかけた人生の結末である老いや死に身近に接することは、介護者など周囲の人びとにとっても自らの過去、現在、未来を想起させるものである。本受賞作品は、老いと死をその「社会性」と一人ひとりの生の偶発性のなかで再考し、入居者だけでなく周囲の人びととの間に引き起こされるさまざまな波紋や変化に着目することすることによって、オリジナルな論考を展開している。
上記の問題意識に基づいて、本書は、第一部において理論的枠組みやシンハラ農村社会の老親扶養をめぐる規範など議論の前提を整理したうえで、第二部ではダーナという寄付行為を取り上げる。ダーナのスリランカの高齢者福祉における重要性とともに、ヴァディヒティ・ニヴァーサにおける具体的なありかたを詳細に叙述し、それが与え手と受け手の双方に微妙な揺らぎをもたらす相互行為であることを明らかにする。第三部ではヴァディヒティ・ニヴァーサにおける日々の生活や20余名の詳細なライフ・ナラティブが記述され、入居者一人ひとりにとっての老いは決して「老人」として一括されるようなものではなく、人生のかけがえのない結末であることが示される。「老い衰えゆく身体を生きる入居者」を毎日介護し看取る職員のナラティブからは、介護者も老いと死という身体の変化を自らの生にひきつけて応答していく過程も明らかにされる。介護者として住み込んだ著者自身の経験も含めて、第二部、第三部の叙述は圧倒的に厚く説得的である。最後に、結論、スリランカの高齢者福祉政策の概要を示す補論が続き、本書は完結している。
本書の貢献は多岐にわたる。第一点は、老い衰えていく身体を生きることが本来もっていた社会性を厚いエスノグラフィーの叙述のなかに生き生きと描いたことにあろう。世界的に高齢化が進行しているにもかかわらず、近代医療の発達やケアの制度化のなかで老いや死は医療の対象となり隔離されてかえって見えなくなっている。高齢者、あるいは老いや死を課題とする研究においても、伝統社会の老いを対象とするエスノグラフィーを除けば、健康で自立した老後を目指す福祉やケアの視点からの研究が圧倒的に多い。そのなかで本書は、けっして「美しく」はない「老い衰える身体を生きる」ことがそれ自体としてもつ社会的な意味をあらためて問い直し問いかけている。スリランカの一つの老人施設の民族誌でありながら、その問いはきわめて普遍的かつ今日的である。
第二点として、著者自身がケア職員として参加しつつ詳細に記述した民族誌としての厚みをあらためて評価したい。入居者、介護者、ダーナを実践する人びとなど、複数の視点から重ねられていく叙述は、老いと死という課題のもつ時間、空間、関係の重層性を生き生きと描くことに成功している。
本書は、完結した著作ではあるが、本書を出発点にした今後の展開の大きな可能性も示している。スリランカ社会の家族制度の変化や高齢化、福祉政策の研究もその一つの方向であろう。別の地域や場を対象にして、老いや死にかかわる論考をさらに深化させることも可能である。著者のますますの活躍を期待したい。

根本 達『ポスト・アンベードカルの民族誌—現代インドの仏教徒と不可触民解放運動—』法蔵館、2018年

本書はB.R.アンベードカルに率いられて1956年に元不可触民から新しく仏教徒に改宗した人々の運動と生活の現実を長年にわたりナーグプルで参与観察して分析した力作である。著者は、ナーグプルでアンベードカルの教えを広めようとする活動家、在家信者、改宗キリスト教徒、あるいは、仏教僧佐々井秀嶺師など仏教運動に関わるさまざまな人々と生活世界で交わりつつその視点を取り込むことによって、現代のインドで仏教徒として新しく生きるということがどういうことかを、生き生きと叙述することに成功している。
アンベードカルに率いられ新しく仏教徒に改宗した人々の間では、アンベードカルの教えを純粋に維持しようとする「アンベードカライト」と、旧来の生活世界をひきずりヒンドゥー教的信仰要素を継承する「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」がアイデンティティの相剋状況を含んだまま共存している。アンベードカライトは、差別され排除されてきた者の間で仏教徒としての純粋な同一性を維持することによって抑圧的な差別を生み出す既成の社会から脱しようとする。そのような同一性に参加する人々は、新しい仏教徒として排他的な共同体に帰属することが求められ、それまで彼らが埋め込まれていた社会的、文化的コンテクストからの決別を促される。それは他の共同体との交渉の場が閉じられることを意味し、そこにおいて現実の生活世界ではさまざまな矛盾が生じる。このような社会運動の政治を著者は「同一性の政治学」と呼ぶ。
同一性の政治学においてはアンベードカライトが追求する純粋な仏教は、超自然的な力というヒンドゥー教的考えや行いを否定する。しかし、アンベードカライトによって迷信として否定される在家信者の行いを容易には排除できない。仏教僧がブッダの像にかけた紐を参加者の右手にまく守護紐儀礼を例にとると、多くの在家信者によって行われている守護紐儀礼は、アンベードカライトが半仏教徒・半ヒンドゥー教徒と批判するような在家信者にとって、ブッダの教えを忘れないようにする行為であると同時に病気や悩みを解消する聖なるものに接するための行為でもある。アンベードカライトが問題とするのは後者の面であるが、それは犯罪や病気の危険にむきあう庶民生活の切実な願いと結びついていることから否定することは容易ではない。またヒンドゥー教に密接に結びついているさまざまな伝統的な社会儀礼・祭りは、家族や仲間とのつながりを確認する社会的ネットワークを維持する場でもあり、これも安易に否定できない。
このような「半仏教徒・半ヒンドゥー教徒」の生活世界は、アンベードカライトから見ると、中途半端なものと映るが、しかし、「差別に抗するための仏教徒としての団結」と「文化的記憶や生活世界でのつながり」の二者択一のなかで柔軟に両者をともに選択しようとする半仏教徒・半ヒンドゥー教徒は、両世界をまたぐ対面的な網の目を構築することで、状況依存的ではあるが、他者の存在を認め、他者との連帯の可能性を広げるという積極的な意味を持つ。
ポスト・アンベードカルのナーグプルの仏教徒社会においてアンベードカライトと半仏教徒・半ヒンドゥー教徒のどちらの生き方が望ましいか、著者は明確な判断を下していないが、同一性から逸脱する他者の声に耳をかたむけ共生の可能性を重視する著者にとっては両者の状況に応じた連携こそが望ましいと考えているように評者には感じられた。

堀内俊郎『世親の阿含経解釈—『釈軌論』第2章訳註—』山喜房佛書林、2016年

本書は、インド仏教に大きな足跡を残したVasbandhu(世親)の手になる『釈軌論(Vyākhyāyukti, 経典解釈方法論)』第2章の訳注研究である。『釈軌論』はサンスクリット原典が失われチベット語訳としてのみ残り、和訳の全訳はいまだ存在しない。全5章からなる『釈軌論』のうち、第4章のヴァスバンドゥ本文と弟子筋のグナマティ(徳慧)の注釈については、すでに堀内氏がチベット語訳校訂テクスト・訳注・研究を公表している(『世親の大乗仏説論―『釈軌論』第四章を中心に―』2009年12月、山喜房佛書林)。今般の対象作品は、『釈軌論』第2章の総合的な研究である。第2章は初期仏典である阿含・ニカーヤから103の「経典の一節(経節)」を抽出して解釈の方法を記した章であり、『釈軌論』全体の4割ほどの分量を占める最も長大な章となっている。堀内氏は従来ほかの研究によってはその2割ほどしか現代語訳されていなかった同章を全訳し、3割程度のみが比定されていた阿含の出典の残りの7割を新たに比定した(出典一覧は付録「諸本対照表」(pp.218-220)にまとめられている)。その点で、本研究は、近年長足の進歩を遂げる阿含研究やヴァスバンドゥ研究の土台を踏まえつつ、当該分野に対して堅実な基礎研究をさらに提供したものと評価しうる。
ヴァスバンドゥの阿含解釈はアビダルマの教義を踏まえた精密なものであるが、堀内氏はアビダルマ論書、同じヴァスバンドゥによる他の著作(『倶舎論』『縁起経釈論』など)、ならびにグナマティの注釈の参照などにより、難解なテクストを読み解くことに成功している。さらに、ヴァスバンドゥが提示し解釈する多くの阿含の経節は仏教の基本的用語であることが多いので、巻末に付された詳細な語句索引(pp.222-237)は、最新の解釈を反映した仏教辞書、あるいは仏教用語の用例集としても活用することができる。加えて、近年一つの潮流となっている仏教用語の現代語訳(バウッダコーシャ・プロジェクトなど)という問題意識も受け継ぎつつ、翻訳にあたっては、わかりやすい現代語を用いることに留意している点も評価に値する。
総じて本書の特色は、チベット語訳テクストを、梵・蔵・漢・パの関連文献の精査により、もとのサンスクリット原語を想定しつつ正確に訳読しようと努めたことにある。1389個にも上る脚注と、それに裏打ちされた厳密な訳読は、先行研究に対して批判的に新しい知見をしばしばもたらしており、「翻訳チベット語文献」と言われる文献群の訳注研究への一つの範を示すものである。今後の仏教研究において必ず参照される重要な文献になることと評価できる。
以上により、堀内俊郎氏の対象作品は、日本南アジア学会賞を授賞するにふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

嘉藤慎作「17世紀における港市スーラトの形成—スーラト市とスワーリー港—」『南アジア研究』第29号、33-60ページ、2017年

本稿は、ムガル期のインド西海岸でもっとも重要な港だったスーラト港の形成過程とその独特のいわば「二重」構造を明らかにした論文である。スーラト市はインド西海岸に注ぐタプティ(タピー)川の左岸に位置する都市で、アラビア海からは数十キロ離れている。したがって、スーラト港は海港ではない。しかも、スーラトとアラビア海との間のタプティ川には砂州が多く、大型船がスーラト港に入るのは困難であった。そのため、オランダ、イギリスなどの東インド会社がインドに進出すると、タプティ河口の北のアラビア海岸にスワーリー港が整備された。各東インド会社の大型船はこの港に入り、そこで船荷の積み込みや積み下ろしを行った。スワーリー港とスーラト市の間は小型船や陸路によって結ばれていた。こうして、いわゆるスーラト港は独特の「二重」構造を持つ港として発展していくことになったのである。本稿は、そのような構造を持つ港市スーラトの形成過程を分析した優れた論文で、以下のような章別構成からなっている。

1 はじめに
2 スワーリー港の「発見」
3 スワーリー港の役割
4 スーラト市・スワーリー港間に於ける輸送
5 港市スーラトにおける関税徴収の問題
6 おわりに

これらのうち、本稿の中心をなすのは2,3,4であるが、それに付随して5の関税の問題があった。それは、ムガル帝国の行政区分に関係することで、スーラト市がグジャラート州スーラト県に属するのに対して、スワーリー港はブローチ県に属していた。そのため、スーラトとスワーリー間の海路、陸路の貨物輸送に双方の県が関税を課そうとしたことから紛争が起こったのである。5はこの紛争とその解決策を扱っている。
本稿の特徴は英語文献だけではなく、多くのオランダ語文献(アーカイヴス文書を含む)を活用していることで、今後、Mīrāt-e Ahmādī などグジャラート地方に特化したペルシャ語文献を利用すれば研究の幅が広がるのではないかと期待される。

 

2017年度(第6回)日本南アジア学会賞の受賞者発表

東洋大学で2017年9月23日に開催された第30回大会の会員総会において、第6回目の学会賞が審査員長の宮本久義氏より発表されました。4名の受賞者には賞状と副賞が水島司理事長より授与されました。おめでとうございます。

【受賞作品】
岡田恵美 『インド鍵盤楽器考—ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編』 渓水社、2016年
小茄子川歩 『インダス文明の社会構造と都市の原理』 同成社、2016年
中川加奈子 『ネパールでカーストを生きぬく―供犠と肉売りを担う人びとの民族誌―』 世界思想社、2016年
南出和余 『「子ども域」の人類学-バングラデシュ農村社会の子どもたち』 昭和堂、2014年

 

日本南アジア学会賞受賞者
岡田恵美                       小茄子川歩                          中川加奈子                          南出和余

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講評

岡田恵美 『インド鍵盤楽器考—ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編』渓水社、2016年

本書は、ハルモニウムと電子キーボードという2つの鍵盤楽器がインドにおいてどのように受容され普及したのかという過程を明らかにし、比較した著作である。
論点とアプローチを整理した序論においてまず、なぜインドの鍵盤楽器に注目するのかが説明され、2つの楽器を比較する意義が述べられる。続く第1部(第1-2章)では、19世紀後半にフランスで発明されたハルモニウムが国産化と禁止論争を経てインドに普及していったプロセスが描写される。インド古典音楽に不可欠な微分音や装飾音が鍵盤楽器であるが故に表現できないというハルモニウムの制約が、1939年には国営ラジオ放送によるハルモニウム禁止令につながったこと、奏法と楽器改良の両面でこの禁止論争が克服され、現在はコルカタ、ムンバイ、デリーの3都市において様々なタイプのハルモニウムが製造されていることなどが説明される。第2部(第3-4章)は、1990年代から急激に普及しつつある電子キーボードを取り上げる。カシオやヤマハといった日系企業がインド的な機能を備えた製品を普及させていくプロセスが、「グローカル化」というキーワードの下に分析される。分析は、電子キーボードの先駆的存在となったインド音楽仕様の各種電子機器(電子タンプーラー・マシーン、電子タブラー・マシーンなど)の検討に始まり、若年層の音楽学習というハルモニウムではあまり重要でなかった要因を丹念に追ったうえで、微分音を再現するピッチベンド機能の標準装備や、インド・リズム、インド音色を多数組み込んだ仕様など、インド市場に合わせた製品投入の過程を克明に描写する。これら4つの章の分析は、史資料の吟味とともに、現在の主要製作者を対象とした丹念なフィールド調査のエビデンスによって支えられている。第5章において、2つの鍵盤楽器に関する類似点と相違点とがわかりやすく総括される。
これまでの日本でのインド音楽に関する研究が主に演奏家やその技能に焦点を当てていたのに対し、本研究は、2つの楽器がいかに導入され、製造業として成立し、グローバル化が進む現在においてどのように流通して消費者に届いているかという社会学・経済学の焦点を加えて分析した点が画期的である。分析の特徴としては、(1)異文化由来の楽器という「モノ」のグローカル化に着目して、その受容に伴う文化変容のプロセスに焦点を当てていること、(2)比較される2つの楽器が、1991年の経済自由化政策以降の経済成長の中で若年層を中心に需要が拡大しているという現在進行形の電子キーボードと、1世紀以上前にインドに伝播して国内で改良された、完了形のハルモニウムという興味深いコントラストをなしていること、(3)史資料・フィールド調査データの提示に加え、フィールド調査で収集した映像資料をウェブ公開しているなど、多様なエビデンスを説得的に組み合わせて論述していることなどが挙げられる。本書は、2つの楽器に絡む興味深いファクトファインディングに満ちていたうえに、それらを「文化的寛容性」と「多面的思考」というインド社会の特徴に結びつけた解釈は説得力を持つと評価できる。
以上により、岡田恵美氏の対象作品は、日本南アジア学会賞を授賞するにふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

小茄子川歩 『インダス文明の社会構造と都市の原理』同成社、2016年

本書は、インダス文明に関する社会構造を考古学的方法によって多角的に検討し、南アジアにおける都市出現の諸要因を考究した著作である。
著者は2013年にプネーのデカン・カレッジにインダス文明に関する学位論文を提出し、そこではガッガル流域における印章の諸相に注目して、インダス文明の多様性を論じた。著者は、その邦訳を用意する代わり、より広い視点を提示するためにそこにまったく新たな新稿を加え、さらにこれまで自ら発表してきたインダス文明に関する多くの専門論文に手を加えて、独立した重厚な単著として本書を出版した。大型のB5版で250ページを超す全6章あまりからなる構成は、本書の目的と方法を提示する意欲的な序論に続いて、従来古都モエンジョダロやハラッパーなどに明らかにされてきた考古学資料を通じて、文明期とその前後における時代を通じて見られる社会構造のありかたと、そこに展開する交換様式などから、そもそも「都市」とは、また「文明」とは何なのかなどといった根本的な問いにも、豊富な図表を多用しての土器や印章などの考古遺物の緻密な整理・分析、また都市や村落の居住空間の在り方の検討を通じてせまろうとしている。
しかしその論法は、これまでのようなやや古典的な発展段階的なものにとどまらず、むしろ構造論的な視点が導入されているため、文明の特徴を大づかみにした社会変動論としての議論の展開が見られる。つまりそこに見られるのは活発な商品交換による地域間交流であって、ことに文明の中心とされる地域とその周辺の間におけるヒトとモノの動き、またそのさいにおける既存のものの取捨選択とダイナミックな相互の再編が、あらたな変化・変動を生んでいくとされる。それは、地域的特徴をすでにそれぞれに備えた各地域同士が、多重的な互酬的交換原理を働かせての結果なのであって、必ずしもそこに、専制的・強権的な王権・中央集権の存在を想定する必要は無かったろうというのが著者の結論である。それはまた、インド史のその後の展開、すなわち田辺明生氏らが提唱する「南アジア型発展経路」に繋がるものかもしれず、こうして紀元前3千年紀の古代文明は、孤立することなく、インド史の文脈のうちに位置付けられることになるであろう。
著者は「おわりに」のなかで、「都市」の最大の魅力の一つは、「互酬原理と市場交換原理の差異を親和的・双方向的に「同調」させる自律的な機能」にあるとし、現代都市においてはそのような機能が失われつつあり、商品交換のみが支配的な空間になっているように見えるが、互酬原理が決してなくなったわけではないと考えている。グローバルな近代資本主義経済の渦巻く現代インドでも、見た目は異なるが同じ構造を持つ、人間味あふれる「生きた熱い空間」が見られるという。今後、考古学的な視点に立って独創的な文明史観を展開することを期待したい。
以上により、小茄子川歩氏の対象作品は、日本南アジア学会賞を授賞するにふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

中川加奈子 『ネパールでカーストを生きぬく―供犠と肉売りを担う人びとの民族誌―』世界思想社、2016年

本書は「低カースト」として差別されてきた人々が、近年のグローバルな変化のなか、カーストを再解釈しつつ生き抜いている事例を描く好著である。分析対象はネパール、カトマンズ盆地を故地とする民族ネワールの「肉売りカースト」カドギである。この人々はカースト的特権を保持しながら、拡大する食肉市場に柔軟・積極的に参画し経済的に上昇し、自らの社会的位置づけを再解釈・再定義しつつ、差別・スティグマに対峙している。著者はそれを民族誌的背景、日常生活、儀礼、カースト団体の活動等々の面から具体的に描き分析する。
これらの動きは近年のネパールの諸変化、特に2008年の王制廃止に至る民主化とアイデンティティ政治の高まり、市場経済化、首都圏の人口増加のもとで起っている。
カドギの人々は、従来、地域社会において、水牛等の供犠、屠殺、肉の供給、特定の儀礼での音楽の演奏、触れ役等々の役割を担い、19世紀の法の規定もあり、低カーストとされてきた。その生活ではカーストは基本単位で、その役割・区分は地域内の価値体系のなかに埋め込まれ、儀礼色の濃い実践の中で再生産されてきた。この側面を著者は先行研究をも利用しつつしっかりと描く。
食肉取引きの世界市場化と拡大のなか、カドギの人々はその仕事を、ハラールの採用、衛生面での改善、皮の商品化等々さまざまに改変・近代化させ、カースト役割と利益の増大を相互に補完させる形で追求してきた。経済的上昇は経済的地位とカースト的地位の間の乖離を意識化させ、また民主化運動や留保制度等の国家政策はカドギの人々の社会的位置づけの再解釈・再定義を促し、儀礼的役割の取捨、神話・伝説の見直しや政治・社会面の諸変化につながっている。その動きには、個人的でカーストとは無関係な方向性がある一方、カースト団体(NKSS)による組織的・戦略的なものもあり、後者においては近年、自らを「ダリット」ではなく、ネワール民族の一員である「先住民」と規定する方向がとられている。人々はカースト役割をただ踏襲するのではなく、また一方、肉売りの権益などの理由から、カースト制度を否定するのでもなく、状況に適応しつつカーストを再創造している。
上記のような動態を本書の著者は、カトマンズ盆地のカドギの人々の居住地、肉店、屠場、寺院、儀礼、カースト団体オフィス、集会等々での観察・聞き取りをとおし、また今日の政治経済動向との関連に留意し、多面的かつ詳細に追っている。調査・研究は、周辺の諸集落や国境近くの水牛定期市での観察・聞き取り、カドギ自身の執筆するネワール語出版物でのカドギの自己イメージの確認などにも及び、広い視野と行動範囲をもってなされている。著者はそれらをさまざまな先行研究と組み合わせ、カーストに関する分析を多面的に深め、肉の市場化とカーストの再創造、スティグマ論などの議論も行い、本書を理論的にも充実した良質の民族誌としている。
以上により、中川加奈子氏の対象作品は、日本南アジア学会賞を授賞するにふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

南出和余 『「子ども域」の人類学-バングラデシュ農村社会の子どもたち』昭和堂、2014年

本作品は、バングラデシュの農村に生きる子どもたちの生活世界に対して、人類学的な参与観察に基づきつつ、オリジナリティ溢れる考察を加えた研究である。特に注目されるのが、「子ども域」という概念を設定して、大人社会との関係性および子どもの行為的主体性という視点から、現地での子ども社会を描出している点である。映像人類学的な手法を使っている点も斬新である。
「子ども域」とは何か。それは、子どもが社会の中に存在する関係性を指すのであるが、子どもの行為主体性を十分に考慮に入れつつ、大人と子ども、そして子どもと子どもの相互の関係性を捉えようとする概念である。著者は、バングラデシュの調査農村における子ども社会への参与観察に基づいて、当該社会の子ども観、そして子どもの生活世界を詳細に記述する。生活世界の記述では、年齢ごとに子どもたちの生活時間と生活空間の分析が行われ、年齢の上昇に応じる役割期待の変容と人間関係の拡がりが明らかにされる。さらに、著者は、子どもたちの主体的行為としての「遊び」の詳細な観察も行っている。また、遊びを通して「規範」が形成される事情も明らかにしている。こうした「遊び」の分析を通じて当該社会において大人は子どもに対して基本的に「無関与」であるという点が明らかになった。そのことを象徴的に示す言葉が、「ブジナイ」(分かっていない)という大人の子供に対する呼称である。
他方、子ども社会に対する大人社会からの制約として、通過儀礼としての男子割礼が取りあげられる。著者は、この儀礼の観察を通して、男の子たちは割礼の儀礼を受動的に受けとめるだけではなく、積極的に受容する側面を明らかにしている。また、村の大人社会からの子ども社会への関与とは異なり、村の外から子ども社会に影響を及ぼす要因として、教育も取り上げられる。結論的に言うと、教育は、当該社会の「子ども域」に変容を迫る要因となっている。
本作品が評価されるべき点は、以下の点にある。先行研究の把握、「子ども域」という方法概念の提出、現地調査の実践、分析の枠組み、民族誌的記述など、何れの点でも優れた研究成果となっている。結果的に、本研究は、「子ども域」という方法概念を使いつつ、バングラデシュの農村における子ども社会と大人社会の関係性を見事に描出することに成功した。それによって、大人は子どもを「ブジナイ」(分かっていない)と認識することによって、子どもに対して相対的に「無関与」に接しているけれども、それにもかかわらず、子どもは社会規範を半ば自律的に身につけていくという当該社会のある種の秩序形成が明らかにされたことが重要である。同時に、拡大しつつある教育という要因が、かかる「子ども域」にも変容を迫っている事情も明らかにしている。さらに、本作品は、日本における子ども社会の姿を読者に改めて考えさせる契機も与えてくれる点でも評価に値する。
以上により、南出和余氏の対象作品は、日本南アジア学会賞を授賞するにふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

 

2015年度(第5回)日本南アジア学会賞の受賞者発表

東京大学で開催された第28回大会の会員総会において、第5回目の学会賞が審査員長の山下博司氏より発表されました。4名の受賞者には賞状と副賞が押川文子理事長より授与されました。おめでとうございます。

Kiyokazu OKITA(置田清和)Hindu Theology in Early Modern South Asia: Rise of Devotionalism and Politics of Genealogy, Oxford University Press, 2014

Yuki OHARA(小原優貴) “Examining the Legitimacy of Unrecognized Low-fee Private Schools in India: Comparing Different Perspectives”, Compare, vol.42, no.1, Jan. 2012

鈴木晋介『つながりのジャーティヤ ―スリランカの民族とカースト―』法蔵館、2013年

拓 徹「カシミールの禁酒運動はどう伝えられたか ―1980年代初頭インドの新聞報道とセキュラリズム―」、『南アジア研究』第25号、2013年

【受賞式の模様(2015年9月26日)】

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審査委員長の山下氏より発表 壇上に上がる受賞者の皆様
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置田氏 小原氏
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鈴木氏 拓氏

受賞理由

Kiyokazu OKITA(置田清和)Hindu Theology in Early Modern South Asia: Rise of Devotionalism and Politics of Genealogy, Oxford University Press, 2014
本書は、18世紀北インドのヴィシュヌ派ガウディーヤ派の宗教思想家バラデーヴァによる『ブラフマ・スートラ』の註、及び関連するヴァイシュナヴァの師資相承の問題を取り上げたもので、18世紀ジャイプルを都としたジャイスィン2世からの介入に対し、バラデーヴァが思想的にどのように理論武装して臨んだのかを神学的議論を中心に解明している。
方法論的には、歴史社会の文脈を踏まえつつ、サンスクリット文献学の手法に基づき、刊行されているテクストを批判的に検討している。その厳密さにより、著書に高い完成度を付与している。
日本におけるインド思想史研究では、比較的古い時代(古代~中世)に解明の重点が置かれ、近代から現代にかけての動きについて国外における研究の進展から取り残されてきた感がある。そうした欠落を埋めるという意味からも、本研究の意義は大きい。純粋な文献学的方法を踏まえ、当時の社会的文脈との関連を論じているという点でも独創性が高い。さらに、古代から中世へという古典語(古代インド・アーリヤ語)による文献学の流れと、現代から近代さらにそれ以前へという近代インド・アーリヤ語を用いた研究の流れとの間に生じていた研究の間隙を、古典学の方法を以て18世紀の時代状況に降って、宗教への政治からの介入とせめぎ合いを思想史的観点から生き生きと追究し得ているのは高く評価できる。近代思想が興る前夜のヴェーダーンタ思想またはサンスクリット的「知」のあり方を社会的事例との関連で掘り起こした意義も大きい。
以上により、本作品をその水準、潜在的可能性等に照らし、日本南アジア学会賞にふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

Yuki OHARA(小原優貴) “Examining the Legitimacy of Unrecognized Low-fee Private Schools in India: Comparing Different Perspectives”, Compare, vol.42, no.1, Jan. 2012
2006年にデリーの無許可学校に対してソーシャル・ジュリスト(NGO)が教育設備、教員保有資格、教員給与等を満たしていないため非合法であるとして、閉鎖を求める公益訴訟を提起した。これに対しデリー私立学校協会は、子供の教育権は、教育資格を有していないが「献身的な教員」によって保障されており、「実態としての正当性」を有していると主張した。本論文は、「法的正当性」対「実態としての正当性」という観点から、デリーの無許可学校をめぐる裁判記録を詳細に検討したものである。さらに本論文では、デリー・シャードラ地区で展開されている無許可学校9校の経営者、教員、保護者への聞き取り調査を行い、結果を分析している。結果は実にさまざまであるが、いずれにせよ無許可学校は公教育制度内外の多様なアクターに何らかの利益をもたらし、そのことによって各アクターから支持を得て、「実態としての正当性」を獲得し、拡大してきたことを解明している。
本論文は、無許可学校がさまざまな欠点や問題点を含みながらも存続・増加している背景を明らかにし、そのことによってインドの公教育制度の欠陥、ひいてはインド教育制度の歪みをあぶりだすことに成功している。
以上により、本作品をその水準、潜在的可能性等に照らし、日本南アジア学会賞にふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

鈴木晋介『つながりのジャーティヤ ―スリランカの民族とカースト―』法蔵館、2013年
本書はスリランカ中央高地西部のプランテーションで働くタミル人に関する民族誌と考察である。彼らは19世紀南インドからの労働移民の子孫で、エステート・タミルと呼ばれる。関連の先行研究は少なく、本書は先駆的な意義をもつ。著者はエステートの場における実践と論理を、ジャーティヤをキーワードとして考察し、「民族」「カースト」「アイデンティティ」という既存の概念を解体して新しい視座から理解しようと試みる。隣村のシンハラ人社会についても詳細な調査を行い、エステート・タミルとの関係性や階層性を通じて差異の表象や言説を分析し、民族やカーストの概念を無化していく人々の実態に迫る。ジャーティヤは、「生活世界」での人間のまとまりの認識と実践、あるいは人間の集まりに一定の枠組みを与える分類体系とでも呼ぶべきものである。考察には修辞学の用語を使っての分析がなされる。つまり、研究対象の人々を、我々がしばしば用いて来た提喩の論理に基づく「括り」のアイデンティティではなく、換喩や隠喩の論理による「つながり」「まとまり」として把握する方法である。安易なアイデンティティ論や外側からの概念や図式へのあてはめではなく、現地の人々の言語や実践の読み解きによる人間理解に挑戦している。本書は、単なる事例研究を越えて、宗教や民族や階層といった用語を安易に使って一般化して他者理解をする傾向が強い現代社会への警鐘となり、かつ現代の移動や移住あるいはプランテーションの研究にも大きな影響力を持ち得よう。
以上により、本作品をその水準、潜在的可能性等に照らし、日本南アジア学会賞にふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

拓 徹「カシミールの禁酒運動はどう伝えられたか ―1980年代初頭インドの新聞報道とセキュラリズム―」、『南アジア研究』第25号、2013年
本論文は、カシミール(カシュミール)・ムスリムによる禁酒運動についての新聞報道から、1980年代インドにおけるセキュラリズムの複雑な様相を解明している。『タイムズ・オブ・インディア』のような一般にセキュラーとみなされている全国紙とカシミール地方紙の両者において、禁酒運動に関する報道が、一見セキュラーに見えるものの実はセキュラリズムの名においてコミュナルな方向を向いている、すなわちマジョリティ・コミュニティが無意識のうちにコミュナリズムを持ち合わせている(マジョリタリアニズム)という危険な現象を解き明かしている。禁酒運動をあくまでセキュラーな運動として報道するカシミール地方紙やそのために酒店の経営が苦しくなるヒンドゥー教徒への同情を示す全国紙といった具合である。著者は、こうしてコミュナル意識が醸成され、結果としてインドの主流の新聞が、カシミールのムスリム・マジョリティを「セキュラーな市民」に含めるチャンネルを失わせることになってしまったと指摘し、それがその後の過激派による分離主義ゲリラ紛争へ移行する方向へと導くことになったと結論している。
カシミールの分離主義運動が激化する契機の一つとして新聞報道の言説に注目し、そこからマジョリティ・コミュニティのコミュナリズム化の危険性を説くという着眼は非常に興味深い。資料の新聞も丹念に読み込んでいる。欲を言えば、報道を中心テーマに据えているため、専ら新聞を資料に用いているが、現地の人間などが新聞報道をどのように捉えていたかについても、さらに踏み込んだ調査が可能であったかもしれない。また、全国的な政治のコミュナル化、会議派のアイデンティティ政治への傾斜など、インド全般の政治の動きとの関係がもう少し考慮されたならば、より普遍的な問題へと展開できたかもしれない。
以上により、本作品をその水準、潜在的可能性等に照らし、日本南アジア学会賞にふさわしいものと評価することで審査員全員の意見の一致を見た。

 

2013年度(第4回)日本南アジア学会賞の受賞者発表

広島大学で開催された第26回大会の会員総会におきまして、3名が学会賞を受賞しました。おめでとうございます。

  • 井田克征
    “The Concept of Bhakti in the Tantric Tradition”, in Shima, Iwao, Teiji Sakata, and Katsuyuki Ida (eds.), The Historical Development of the Bhakti Movement in India: Theory and Practice, Delhi: Manohar, pp. 113-130.
  • 木村真希子
    “Ethnic Conflict and Violence Against Internally Displaced Persons: A Case Study of the Bodoland Movement and Ethnic Clashes”, International Journal of South Asian Studies, Vol.5, 2013, pp. 113-129.
  • 野村親義
    “Development of Labour Management System of Industrial Enterprise in Colonial India: A Case Study of the Tata Iron and Steel Company”, in International Journal of South Asian Studies, Vol.3, 2010, pp. 101-145.

【受賞式の模様(2013年10月5日)】

審査委員長による
受賞者発表と講評
井田氏 木村氏 野村氏

2013年度(第4回)日本南アジア学会賞の授賞理由

第4回日本南アジア学会賞は、次の3作品に対して授与されました。
以下に、それぞれの作品について、授賞理由を公表いたします(アイウエオ順)。

Katsuyuki IDA, “The Concept of Bhakti in the Tantric Tradition”, Shima, Iwao, Teiji Sakata and Katsuyki Ida eds., The Historical Development of the Bhakti Movement In India: Theory and Practice, Delhi: Manohar, 2011, pp.113-130.

シャークタ派を含むタントリズムにおけるバクティの問題を考察した論攷である。タントリズムと教理的に必ずしも強い結びつきをもたない「バクティ」が、どのような形でタントリズムに影響を与え、また整合的に受容されたかという問題について、「グル・バクティ」というキー概念を取り上げ、バクティの対象を神からグルに転換しグルへのバクティを強調するという形で受容が図られるに至る論理構造と思想史的・宗教史的意義を考察している。したがって、翻訳と解釈を主体とする文献学的研究というより、文献的事実を踏まえた思想的・思想史的考察と見なすべき論文であり、論理構造は極めて明晰である。シャイヴァ・タントラのテクスト上の諸問題については最新の研究が参照され、また文化人類学者の所説にも考慮が払われるなど、当該分野に関わる先行研究が広範に渉猟・吟味されている。

そもそもこの分野の研究者は稀少であり、テーマの重要性にも鑑み、独創性と学界への貢献度には高いものが認められる。また、テクスト研究が進捗していない本分野では、テクストの批判的研究が何より待たれるところである。この点に由来する論理の緻密さに若干の課題は残るものの、それを差し引いても論証における実証性は高いと判断される。

日本の学界では、バクティの研究が、サンスクリット文献による研究と近代語の資料による研究に事実上二分されており、成果の止揚が図られにくい構造上の難点を抱えている。日本におけるインド中世思想史研究が、仏教も含めた古典研究に偏重してきた現実もある。さまざまな意味で結節点に位置する本論文から、このような資料的・時代的ギャップを克服し、将来的にシャークタ派、シャイヴァ・スィッダーンタ派などにおける同種の概念の研究へと進展する潜在的可能性を感じとることができる。その意味で今日的意義は大きい。

本論文は、故島岩前金沢大学教授を筆頭とし、井田氏本人を含む計3名の共編になるThe Historical Development of the Bhakti Movement In India: Theory and Practice(日本南アジア学会英文叢書、全299頁)に収載されたものであり、今回の井田氏の評価には同書の共編者としての業績も加味されることになる。14本の論文から成る本書は、把握されるだけで、日本南アジア学会の英文誌International Journal of South Asian Studies(vol.15)に米国コロンビア大学のJohn Stratton Hawley氏(北インドのバクティ研究)による書評が、Religious Studies(vol.39)には米国デニソン大学のJohn E. Cort氏(ジャイナ教研究)による書評が掲載されており、『宗教研究』(第86巻第1輯)にも東京大学の高橋孝信氏(タミル文学)による詳しい「書評と紹介」が掲載されている。井田氏の当該論文を含め概して好意的な論調が目立っている。

以上により、井田克征氏の対象業績(当該論文、及びそれを含む共編著)は日本南アジア学会賞(平成25年度)に値するものであると評価される。

井田氏は、2012年2月に単著『ヒンドゥータントリズムにおける儀礼と解釈―シュリーヴィディヤー派の日常供養-』(昭和堂)も上梓するなど、文献に加え現地調査も採り入れた研究成果の発信に積極的に取り組んでおり、今後とも学界への貢献が嘱望される。より一層の活躍を期待するものである。

Makiko KIMURA, ‘Ethnic Conflict and Violence Against Internally Displaced Persons: A Case Study of the Bodoland Movement and Ethnic Clashes,’ International Journal of South Asian Studies, Vol.5, 2013, pp.113-129.

本論文は、アッサム州のボドランド紛争における国内難民の問題を、現地調査でのインタビュー等で得た資料を駆使して分析したものである。北東インドは独立以来分離独立運動や反政府運動が散発的に続いているが、本稿は1990年代半ばから武装闘争が激しくなったボドランド紛争に焦点をあて、紛争によって生じた国内難民(Internally Displaced Persons=IDPs)のその後の状況を分析した上で、紛争の根源を追求している。

著者によれば、1990年代半ばからのボド紛争で約30万人、また同様の武力紛争によって1990年代から2011年の間に総計で約80万人のIDPsが出ている。その難民もエスニック的には、ボド民族、ムスリム、先住民族(Adivasi)など多様で、また元々の居住地が課税地であるか、許可された森林地であるか、あるいは政府保留森林地への無許可の「侵入」であったか、などによって帰還の状況が大きく異なるという。そして「侵入者」の多くはムスリムや先住民族であり、彼らの多くは現在に至るまで帰還できていないという。その理由はボド民族による武力攻撃と政府、行政側の政策によるものとしている。インド政府は2003年の第二次ボド合意後、国内難民にリハビリのための支度金を支払うなどして難民帰還に成功したと宣言しているが、著者の分析では、実態は大きく異なり、特にムスリムと先住民族の状況が極めて厳しい、しかもその差別待遇の奥には選挙をめぐる諸政党の思惑もあり、究極的にはこうした紛争の処理の仕方がインド民主主義への国民の信頼を根底から揺れ動かしかねないと警告している。

本論文が評価されたのは、以下の理由による。第1に、本論文は、政府が「成功」と宣言したIDPsの帰還問題に関して、複雑なエスニック構成の側面に着目して、その問題点を指摘しているが、その問題意識、発想、アプローチが独創的である点が評価された。第2に、著者が2010年8月と2011年3月に自ら現地調査を行い、多くの聴き取りを行っている点である。そこで得たオリジナルの資料は極めて貴重である。第3に、論文構成、論理の展開に一貫性があり、説得力があると認められた。第4に、北東部の民族問題、しかも国内難民の帰還という限定されたテーマを扱っているにもかかわらず、それが単なる状況や紛争の経緯の説明に終わることなく、インド民主主義という広い文脈の中に位置づけられている点である。

以上の利点に対し、本論文の弱点も指摘された。第1に、帰還を困難にしている理由として著者は2点、すなわちボド民族によるムスリムや先住民族への直接的暴力の問題と、政府・行政側による無関心、無作為、あるいはムスリムや先住民族に対する差別的政策を指摘し、後者を構造的暴力と呼んでいるが、構造的暴力とは一般に主体の見えない社会に内在する矛盾を意味しており、この場合政府の態度や政策を構造的暴力と呼ぶことが適切であるかは疑問である。第2に、紙面の制約があるとはいえ、著者が現地調査で取得した多くの資料をもっと有効に利用できたのではないかとの指摘もなされた。いくつかの発言は本文の中で紹介されているが、どれだけの人間に聴き取りを行ったのか、またそれらの意見の中に相違点や矛盾もあったはずで、そうした著者自身が入手した資料をもっと多く紹介し、また利用もできたのではないか、と思われる。

こうしたいくつかの問題点はあるものの、問題意識、資料収集の努力、論文構成と論理の展開などに鑑みるならば、本論文は日本南アジア学会賞を受賞するにふさわしい論文であるということで意見の一致をみた。今後、著者の研究のさらなる発展に学会として期待したい。

Chikayoshi NOMURA, “Development of Labour Management System of Industrial Enterprise in Colonial India: A Case Study of the Tata Iron and Steel Company,” International Journal of South Asian Studies, Vol.3, 2010, pp.102-145.

本論文は、植民地期インドにおいて、タタ製鉄(TISCO)が効率的な労働者管理システムの追求を、間接的労務管理から直接的労務管理への移行という方向性の中で模索した過程を実証的に考察したものである。

一国の工業化、そして、企業の発展にとって、効率的労務管理制度を構築することの重要性はよく知られており、植民地期インドについてもかなり厚い研究の蓄積がある。著者は、先行業績の周到なサーヴェイを通して5つの問題領域を抉りだし、本稿においては、その内の2つ(労務管理制度の未成熟と職工長の職業経歴)について、タタ製鉄の内部資料などに基づいて説得的な考察を行い、明確な結論を導いている。

植民地期インドの労務管理制度として職工長による間接的システムが採用された理由として、先行諸研究は労務管理を内部化することに伴うリスクの回避を指摘してきたが、著者は、TISCOの創成期には4000名近い工場労働者の雇用が必要であった為に、そのように膨大な労働者の情報を当時の経営陣が管理することは不可能であり、その為に熟練した一定数の職工長(jobberまたはsardar)を通して労働者を管理することが現実的解決策であったことを指摘する。しかし、1920年代にTISCOの大拡張計画が実施される中で、雇用労働者が激増したが、それに対応した熟達した職工長を十分に確保できず、工場現場における事故の多発と労働生産性の低下という事態を招いた。おりしも、インド経済は激しいインフレに見舞われており、その結果、実質賃金が低下したので、労働者の不満が募り、深刻なストライキが起こり、さらなる生産性の低下が生じた。こうして、間接労務管理制度では効率的経営、生産性の維持、利潤獲得が困難となった為に、直接的労務管理制度が導入されることになった。具体的には、労務管理事務局(Bureau of Labour)が設置され、そこを通して労働者の考査、待遇改善などが図られた。この管理事務局は、3万人を超える労働者の管理を行うことが期待されたが、スタッフの不足に悩まされ、結局、経営陣からも労働者からも十分な信頼を得るには至らなかった。こうして、筆者は、直接労務管理制度が採用されたとはいえ、それは効率的に機能していたとはいえなかったと結論付ける。

さて、本稿は、TISCOの労務管理において重要な役割を担った職工長の前職について、同時代の所内報の記事の分析を通して明らかにしている。それによれば、職工長は1910年代初の139名から1920年代初には598名へと著増しているが、かれらは、鉄道職員、政府役人、建設事務所などで経験を積んだ人々であった。植民地期インドにおいて傑出した民族系企業であったTISCOが成功するためには、このように様々な業種や職場における人材の育成が不可欠であったのであり、逆にいえば、TISCOといえども同時代インドの一般的産業水準や制約から自由ではなかったことになる。

以上の要約に明らかなように、しっかりした先行業績のサーヴェイにから導かれた創成期のインド製鉄業(特に、タタ製鉄)の労務管理制度に関する2つの問題領域について、本論文は、TISCOの貴重な内部資料(所内報や年次報告書など)を駆使して綿密に分析し、従来、明らかにされてこなかった具体的な知見をもたらしており、国際的にも高く評価されるべき水準の論考であると評価できる。また、著者は本稿の他にも、植民地期TISCOの経営問題に関して、一連の研究を発表しつつあり、それらを通してTISCOの経営問題の全容が明らかにされていくであろうことが期待される。

以上の理由から、本委員会は本論文に学会賞を授与することが適切であると判断する。

PAGETOP

2011年度(第3回)日本南アジア学会賞

第3回南アジア学会賞は、候補作品を選考した結果、残念ながら授賞に該当する作品なしということになりました。

PAGETOP

2009年度(第2回)日本南アジア学会賞

第2回日本南アジア学会賞は、次の2作品に対して授与されました。
以下に、それぞれの作品について、授賞理由を発表します(名前のアイウエオ順)。

授賞理由

馬場紀寿
『上座部仏教の思想形成—ブッダからブッダゴーサへ』春秋社、2008年

本書は、上座部仏教の伝統教学の体系化に大きな影響力を与え、以後のスリランカ、東南アジア大陸部の上座部仏教の路線を確立した、5世紀の仏教学匠ブッダゴーサの教学の形成をパーリ経典資料の比較分析という方法論をもちいて精密に跡づけた非常に水準の高い研究である。とりわけ、経蔵への註釈文献を<注釈古層>・<注釈新層>に分類し、ブッダゴーサ自身が先行資料に対しておこなった編集作業を綿密に検討した仕事はこれまでの内外の研究にない手法であるといってよい。これまでに積み重ねられた多数のパーリ仏教資料の研究史を踏まえた上で、新しいテクスト分析手法の導入によってブッダゴーサが打ち出した新視点を浮き彫りにすることに成功した画期的な研究であることは疑いない。ブッダゴーサ研究史の上で大きな展開点になる優れた研究である。視野をパーリ経典資料内に限定しているが、厖大な資料を堅実な分析手法と確かなパーリ語の読解力によって検討した文献学者としての力量には高い評価が与えられる。また、従来の研究史にもきわめてバランスよく目配りがなされていることは馬場氏の研究に安定感を与えている。若手の優れた研究者として今後の研究展開を大いに期待したい。
広義のインド文献学の一分野であるパーリ文献学の近年の大きな業績として高い評価を与えるものである。

宮本万里
「森林放牧と牛の屠殺をめぐる文化の政治― 現代ブータンの国立公園における環境政策と牧畜民―」
『南アジア研究』 第20号、2008年12月

本論文では、環境保護で有名なブータンの政策と牧畜民の関係が、多様な価値をもつ複数のアクターの交渉の過程として立体的に捉えられる。また当事者の価値観が、政策の担い手、受け手などの中でも一枚岩でなく、複雑な関係・交渉の中にある点も明晰に分析される。主なアクターとして取りあげられるのは、ある牧畜村(S村)の村人、森林局国立公園・そのスタッフ(森林保護管)、畜産局・その駐在員、仏教僧(集団)などである。アクター相互の関係・交渉と変化は、各当事者の通時的変化を含む簡潔な記述とともに、ブータン政府の環境保護に関する言説との関連性のなかで明らかにされる。

著者によれば、ブータン政府の「上からの環境主義」の言説は、グローバルな環境保護の潮流のなかで、ブータン人を、全ての生き物を憐れみ尊重する敬虔な大乗仏教徒、本質的に自然を守り育てる生活文化を持つもの、と描き出してきた。しかし、政府や援助機関が想定する「環境にやさしいブータン人」像は国民にそのまま受け入れられているわけではなく、また、実際に行われる環境保護政策は、自然資源利用の科学的(西洋的)管理であり、必ずしも仏教的価値とは合致しない、とされる。村の人々は、そのような政策・「環境にやさしい」生活様式のモデルを自らの生活・価値観に添って読み替えつつ引き受けてきた。しかし、村人もまた一枚岩ではなく、そこにも相互に折り合いを付ける行動があらわれる。これらの錯綜した関係・交渉のあり方を分析するのが本論文の中心部である。

ブータン政府の環境保護政策は90年代後半以降急速に具体化し、牧畜民による森林放牧は自然環境への脅威とされた。S村は今世紀に新設され、近年、移動放牧と季節的移住を組み合わせるブータンの主流の生活様式をもつに至った村である。その変化にほぼ並行した時期に、この地域は国立公園とされ、人間活動を森林内から排除する方向性をもつ規制と管理が始まった。畜産局も足並みを揃え、造成放牧地での定着型の酪農牧畜、品種改良、「不必要な牛」の選別・処分による頭数削減などが奨励された。

近年のブータンでは、国の僧院機関や私設の僧院集団から派遣された僧侶が遠隔地の村々を巡回しつつ説法を行い殺生の罪深さなどを説いている。牛の頭数削減は、それ自体、畜牛頭数の多さが世帯の経済力を示すという村人の観念と食い違うが、「不必要な牛」の選別・処分は(森林保護管や畜産局駐在員が屠殺を明言・強制しないにも拘わらず)屠殺を意味すると認識されている。村人にとっては「自然環境保護=牛を殺すこと」で、「自然環境の保護者」となることと「よき仏教徒」であることは二律背反する価値となっている。

そのなかでS村の人々は、譲渡した牛の屠殺に遭遇するという出来事を契機に、屠殺忌避合意を再確認し、牛の供養を行うようになり、そこには、それまで政府に協力的だった村代表まで加わるようになる。村人の価値の揺れは「よき仏教徒」である方向に収斂していったのである。他方、政府は畜牛削減施策を強化する「育成センター」を設けつつ「屠殺」を人々の目から覆い隠す方向をとる。

この事例について著者は、ブータンの環境保護政策は一枚岩ではなく、多元的価値の交渉の場であること、また、その自然環境保護とは、ブータン政府が言説化してきたように仏教信仰と調和した形で自立的に存在するのではなく、多元的な価値の連関と交渉の過程の総体として立ち現れていると論じる。また結論部では、「牛の屠殺」をめぐるポリティックスを、村人が仏教信仰という価値を味方につけて環境保護というグローバルな価値との交渉を試みる過程であると同時に、政府によって描かれた「環境にやさしい生活」あるいは「正しいブータン人」像に対する、人々からの問い直しと再構築の過程であると捉える。

このように、フィールドワークを基礎にして、森林放牧と牛の屠殺を中心に据え、文化の政治の視点からブータンの環境保護に関わる諸価値を背負った人々の関係を分析した本論文は、明晰な資料提示・分析と説得的な議論展開をもち、文化人類学、環境研究、政策分析などに貢献すると考えられる。

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2007年度(第1回)日本南アジア学会賞

日本南アジア学会は、20周年を記念して日本南アジア学会の学会賞を制定いたしました。
選考委員会の選考の結果、以下の会員の方々の研究成果に対して、第1回の学会賞を授与いたしました。(名前のアイウエオ順)

  • 片岡 啓
    『古典インドの祭式行為論 Sabarabhasya & Tantravarttika ad 2.1.1-4 原典校訂・訳注研究』山喜房佛書林、2004年
  • 佐藤隆広
    『経済開発論』世界思想社、2002年
  • 堂山英次郎
    「リグヴェーダにおける1人称接続法の研究」『大阪大学大学院文学研究科紀要』45-2、2005年
  • 中島岳志
    『ナショナリズムと宗教:現代インドのヒンドゥーイズムとナショナリズム運動』春風社、2005年